リアルな自分に主体があるとは限らないという話。



自分が自分であることは変わらないけれど、
主体が“リアルな自分”にあり続けるとは限らない。


…何をわけ分かんないこと言ってるんだw




例えば、こういうことです。

  • “プライベートの自分”と“タレントとしての自分”
  • “3次元の自分”と“ネット上の自分”
  • “プライベートの自分”と“作家としての自分”
  • “悪魔である閣下”と“世を忍ぶ仮の姿”
  • こりん星の姫”と“千葉県出身のタレント”



どっちに主体があるかは、人によるわけです。


急に売れた歌手の人が
「実感が湧かなかった」
なんて言っている話はよく聞くじゃないですか。


僕の場合で言えば、
このブログの書き手としての“しんのすけ”と
サラリーマンのリアルな“僕”は微妙に違うかもしれない。


主体は後者の方にある。と思う。






こりん星人の方に主体をもって欲しいなあ。